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1984
Our Story · Est. 1984

親父と息子の
床屋物語

― 息子が語る、親父と床屋の四十二年 ―

はじめに

新生ベアー、はじまりますA Greeting

初めまして。今、沖縄でバーバーをやっている江口マコトといいます。

ヘアーサロンベアーは僕の父が42年守ってきた店です。この度このベアーに、僕と沖縄で一緒に働いてきたkazumaが店長として働きます。

僕らの沖縄のお店ではサブスクプランを提供しています。これからベアーでもサブスクプランを一つの武器として提供してまいります。ぜひご利用ください。

kazumaは沖縄の地元のお客さん、米軍のお客さん含め数多くのお客さんに愛されるバーバーです。必ず福岡の皆様も彼のことを大好きになると信じています。ぜひ一度ベアーに来ていただいて、彼の技術と人柄に触れてほしいと思っています。

というわけで、これから新しいベアーがスタートしていきます、が、その前にここまでのベアーの歴史を息子である僕の視点で少し語ってみたいと思います。

01

長浜Nagahama

僕が生まれたのは1984年、福岡市中央区長浜でした。その頃は魚市場の近くに団地があって、僕たち家族もそこで暮らしていました。その団地の一階に、ベアーはありました。

親父は僕が生まれた年にベアーを買い取り、親父の店になりました。

その頃のベアーは5席ぐらい椅子があり、従業員のお兄ちゃんたちはみんなやんちゃな人ばかりで、小学生の僕をよくいじったり、可愛がってくれました。店は市場で働くお客さんや、近所のサラリーマンで活気に溢れていたのを覚えています。

夏休みとかになると、僕は小遣い稼ぎでタオルの洗濯や床を掃いたりして手伝っていました。だから店の中の雰囲気は今でも簡単に思い出せるし、その時の従業員の顔もすぐ浮かんできます。

親父はみんなにマスターと呼ばれていて、週末になると大体みんなで焼肉に行ったり、晩御飯は僕の家の母の料理を食べたり、一つの家族みたいな感じでした。

02

店長の独立A Manager Goes His Own Way

ある日、長年店長として働いていたカナメ兄ちゃんが独立することになりました。僕もほぼ生まれた時から知っている従業員です。

独立する時、親父はカナメ兄ちゃんの新しい店のチラシをベアーに置かせました。そしてカナメ兄ちゃんのお客さんがベアーに来たら、「うちに来んでいいけん、カナメの店に行ってやってください」といって追い返しました(笑)

もちろんベアーのお客さんは減りました。でも新しい土地で店を開けるカナメ兄ちゃんにとっては、大きなサポートとなったことでしょう。僕は大人になってこれを聞いたんですが(っていうか、酔ったら毎回話します)、まあ、親父はそんな人でした。

そのあと店を引き継げる人物になり得たのが、シンゴ兄ちゃんでした。熊本出身の彼はとてもやんちゃで仲間も多く、土日はよく遅刻していたみたいで、それに見かねた親父は、道具屋の紹介で彼を東京に修行にいかせます。(この縁があって、後に僕自身も東京に行くことになります)

03

白金へTo Shirogane

従業員が減っていく中で、長浜の再開発が行われることになりました。僕たち家族が住んでいた団地も建て壊すことになり、ベアーも出て行かないといけなくなります。

親父は理不尽な扱いをされたと思い、不動産屋のお客さんの紹介で、無理して借金をして、意地で土地を買って店を構えました。同時に住んでいる家も引っ越さないといけないので、新しいマンションも買います。

僕が12歳の時でした。

白金のオープン当初は長浜から従業員を2人連れてきて、それなりにやっていたのですが、段々と客足が遠のいていきます。従業員が1人やめて、僕が高校になるとまた1人やめて、最終的に親父は1人になりました。

この頃、僕たち家族の仲も段々と悪くなり、親父と母はよく喧嘩をしていました。僕も居酒屋でバイトをするようになり、夜中まであまり家に帰らない生活になっていきます。

04

東京Tokyo

僕は高校を卒業して、一年ぐらいフラフラしていたら、その頃修行から帰って自分で店を開いていたシンゴ兄ちゃんに勧められて、東京に行くことにします。

あまり理容師になることを真剣に考えたことはなかったのですが、東京に行けるなら、という理由であっさり決心しました。

その後、僕は8年ぐらい東京で修行します。なんとか東京で理容師として食べれるようになった頃に、親父から電話が来ます。(この頃は親父と話すのは2、3年に一回とかでした)

「もう、店を売ろうと思う」

そう言われた時に、僕はすぐ福岡に帰る決心をしました。2011年のことです。

05

二人のベアーBEAR, the Two of Us

帰ってからの何年かは、思うようにいかないことばかりでした。僕もバイトをしながら髪を切るみたいな感じでした。

だけど、昔の友達が段々と来てくれるようになっていき、少しずつ、店として親父と息ができるようになっていきます。

親父とはよく喧嘩もしました。だけど親父のお客さんたちは、僕の子供の頃を知っている人たちばかりでした。この人達の髪を親父が切ってきたから、今の自分がある。

親父を否定するということは、自分の存在自体を否定すること。その頃は、そんなふうに考えていました。

06

ニューヨークNew York

親父と2人でベアーをやって5年が過ぎる頃、友人の紹介のおかげで、ニューヨークのバーバーショップのオーナーがベアーに足を運んでくれました。

親父と2人、隣同士で髪を切る姿を見て、オーナーは僕を気に入ってくれたらしく、福岡で日本一号店を出すから、そこで一緒にやらないか?と誘ってくれました。

昔から憧れていた店だったので、信じられなかったです。それまでは、この先もずっと親父と2人でベアーをやっていくしかないと思っていました。

僕は初めてニューヨークに行き、憧れの店を訪ねて、何日間か働きました。そして、店を移る決心をします。

ベアーの雰囲気が好きなお客さんや友人の中には反対してくれる人も少なからずいましたが、あらためて僕は、自分の人生を変えるつもりで誘いを受けることにしました。2016年のことです。

07

沖縄Okinawa

親父はまた、1人のベアーになりました。

僕は国内一号店の立ち上げを福岡でやった1年後、沖縄に2号店を出すことになって、沖縄にいくことになります。

沖縄店の店長を2年勤めた後、沖縄の仲間がやっていた店舗にバーバーショップをオープンさせました。「波の上MUSIC&BARBER」です。

そこから僕には家族ができました。子供も3人生まれて、沢山の出会いがあり、一緒に働く仲間も増えました。

その仲間の何人かが福岡の理容学校に通信で通うことになり、ベアーを訪ねてくれて、親父と仲良くなってくれます。それがkazumaです。

kazumaは親父のことをマスターと呼んでいます。

08

終わりにIn Closing

長々と、僕と親父とベアーの話に付き合っていただきありがとうございます。

ベアーで切っていたお客さん、友達のみんな。沖縄のお客さん、一緒に働いてくれる仲間たち、沖縄の友人達。関係者の皆様。おかげで、なんとかもう一度ベアーを盛り上げることができるようになります。本当に感謝しています。

ベアーのことを知らない方も、もし興味を持っていただけたなら嬉しいです。

親父とは今でもよく喧嘩しますが、理容師として超えられると思うことはありません。1人の理容師として店を守り続けること。その代償はでかかったですが、ベアーという店が残っているのが、親父の人生そのものではないかと思っています。

よし、過去を振り返るのはこれぐらいにして、これからを見ることにします。ベアーで楽しみなことが、これから沢山待っています。是非みなさん、ベアーでお会いしましょう。

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